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日立市コミュニティ推進協議会のあゆみ
日立市コミュニティ推進協議会のあゆみ
1974年(昭和49年)の茨城国体を契機に市民運動が始まりました。1971年(昭和46年)に組織された「日立市民運動実践協議会」は、1975年(昭和50年)に「日立市民運動推進連絡協議会」に再編され、1989年(平成元年)から「日立市コミュニティ推進協議会」となりました。
時代とともに様変わりしつつある様々な課題の解決に向けて、市民、行政、各種団体が連携・協働しての対応が始まりました。(以下にあゆみの詳細を記します。)
【市民活動のはじまり】
1974年(昭和49年)の茨城国体を契機に市民運動が始まりました。当初は「きれいなまちで国体を」という行政からの呼びかけと、市民の誰もが「このまちに住んでよかった」と実感できるまちにしたい、自分の地域は自分の創意と努力でつくり上げる、という思いが一つになって、小学校区ごとにおかれた21支部を連絡組織として、1971年(昭和46年)「日立市民運動実践協議会」が発足しました。これが日立市における新しい市民運動の第一歩です。
【コミュニティ活動の時代へ】
国体の成功を目的とした「日立市民運動実践協議会」は、国体終了後の1975年(昭和50年)7月、発展的に解消し、新たに「日立市民運動推進連絡協議会」が発足しました。これにより、それまでの連合会主体の活動から、各学区の特性にあった自主的なまちづくり「市民運動」本来の姿に変わっていきました。
そして、それぞれの単会に根ざした特色ある実践活動が行われてきました。発足当時は、祭りや住民運動会などのふれあいを深める運動、河川清掃、空き缶回収、花いっぱいなどの生活環境をきれいにする運動、冠婚葬祭の簡素化、再生資源の回収などの生活を改善・向上させる運動、青少年の非行防止運動などを行ってきました。
しかし、予想を大幅に上回る高齢化社会と少子化の進展、地球環境の汚染と破壊、国際化などの問題に対応する活動が求められるようになりました。
このため、当初の運動に加えて
@誰もが住み慣れた家や地域で、いつまでも健康で生きがいをもって生活できるよう、支えあい、助け合いの「地域福祉社会づくり」
Aごみ減量と地球規模の環境保全の推進
B地震や火災などの災害から生命と財産を守る自主防災組織づくりの推進
Cこれらの課題について、的確な活動が行われるようにリーダー養成と、情報提供システムの整備 などが新たなテーマになってきました。
これらの活動のあり方や会の名称についても検討し、1989年(平成元年)から「日立市コミュニティ推進協議会」に名称を変更、各単会においても活発なコミュニティ活動を進めることになりました。
【市民と行政の協働のまちづくりへ】
近年ますます、国際化や高度情報化、地方分権社会が進行する状況の中で、地域社会のあり方が問い直され変革も求められています。
生活の場を見つめたとき、防犯や防災の問題、青少年の健全育成、少子・高齢化、環境の問題など、その性格を変えながらも解決の必要性がますます高まっています。
時代とともに、様変わりしつつある様々な課題を、市民、行政、各種団体が連携・協働して解決への対応が始まりました。
例えば、ごみの問題はいうに及ばず、落書きや不法投棄、犯罪の増加、災害時への対応など、安心した市民生活を阻害する問題を、関係機関や団体と連携して解決を図っています。また、少子・高齢社会の中での地域福祉活動も、行政との協働で 様々な活動が行われています。
まちづくりに果たすコミュニティの役割はますます重要になっており、活動の主体である住民が、連帯意識を高め地域ぐるみで、生活課題の解決をしていくことになります。コミュニティが進める日常的な活動は地味で小さなものですが、この積み重ねこそが「元気なまち日立」の原動力であることを確信しながらコミュニティ活動 を進めていきます。
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